ご自由にお持ち帰りください。
盗難に遭った自転車の目撃情報を求めています
〜しばらく記事の頭に入れておきます〜
京都市近辺で銀色のロードレーサー、ハンドルは青、ダウンチューブに「SLUGGER」と文字が入っていて、後輪の上に黒色の荷台が装着された自転車を見かけましたらご一報ください。
吉田ショップの入り口に等身大の立て看板が置いてある。
このかっこの長谷川京子が立ってるのだ。
んでその顔の横に「ご自由に・・」て書いてあった。
パンフが置いてあるのか?とか思ったけど側にないし。。。
捨てるに捨てれなかったか>生協職員(笑)
松浦亜弥だったならあいつが迷わず持って帰ってたんだろうな。
手書きのESはしんどい。
昨日終わるはずが今日までかかってしまったよよよ。
さてさて、無理矢理な自己アピール文の練り過ぎでストレスが溜まっちゃったので先輩のブログに上がってたネタに自分なりの解釈書き散らかしてみようか。
テーマは「動物愛護」。
動物愛護=保全?
「動物愛護」には結構いろいろあってペットに服着せてご満悦なのからクジラ食えなくなっちゃうくらい大変なものまである。
ただ絶滅危惧になってるクロサイだとかパンダとかの愛護、てあんま聞かん気がするんだよな。
ワシントン条約での保護、保全なら聞くんだけど。
とどのつまり条約に入れてくれないものの保全活動のことなんだろか?
それにしたって犬は保全活動必要か?
クジラの中でもミンクはいっぱいあるからいいじゃんってなるし。
思うに「動物愛護」て保全とかそういうのとは別個のもんなんだよな。
動物愛護のやり過ぎで生態系崩れて保全ができなかったって例もあったはず。
芦生では鹿を狩る人が減って山が荒れちゃってるし、たしか尾瀬の植物と鹿の話だったはず。
あ〜、今年も雪解けの芦生に行けたらいいなぁ。。。
とりあえず動物愛護には生物種、生態系云々の話を超えて殺してはいけないものがある、と。
殺していいもの、悪いもの
これって場所でも時代によっても変わるものだし共通理解は無理でしょ。
最近の研究でニホンザルにも子殺しがあるってのが見つかったそうな。
人食いの分化が残ってるとこもあったような記憶もある。
あるもんはしゃーないわけでだめ、それは悪いことって言っても無理があるわな。
土地柄として倫理、文化が許すかどうかに尽きる話でしょう。
じゃぁ日本だとどうなのよ?
「国家の品格」て本が馬鹿売れしてるみたいで、こないだ最初の方を走り読みしたらなかなか面白かった。
論理で全部説明するのは無理。
善悪はその論理の出発点なんだから子供のうちに押し付けろ。
今回の話に関係ありそうなとこ抜き出すとこんなこと書いてあった気がする。
この本に全部賛成するかどうかは(まだ全部読んでないし)とりあえず置いといて、出発点を押し付ける必要性は共感した。
今も昔も世界中で親やら学校やら教会やら、となりのじぃちゃんやら裏の受験生抱えたちょっとヒステリー気味のおばさんやら塾の宿題で何百字も作文させられる鬼怖い国語の先生やらの押しつけを通して子供は育てられている訳で、育った後に出くわす、押し付けられたものの違いの一部が動物愛護の違和感に出てるんでなかろうか。
それはいわゆるお国柄だったり土地柄だったりするわけで外の人がどう言おうと「知るか」てなもんでしょう。
だから日本人はクジラ食っていいしアメリカ人は食わなきゃいい。
ヨーロッパでは牛を遊びで殺してもいいし韓国人は犬食っても構わない。
と、僕は思うのです。
どこまで押し付ける?
さて、残る問題はこんなところでなかろうか。
これについて、動物愛護に限ると、実は法律があったりする。
リンク先の内容をまとめると、「飼い主は最後まで責任とれ」、「周りの人に迷惑かけんな」、「命大事に」、「ガンガンいこうぜ」・・・ん?
まぁ内容としては当たり前にすら感じるほど簡単なもの。
でもこの当たり前に思えるてのが大事なんでしょう。
泥棒だって殺人だって悪いことだってのを当たり前だと思えるように育てばいいわけで。
こないだ奈良で青少年に対する補導に関する条例てのが提出されてた。
中高生でタバコ吸ってたり家出したりしてる子を法律上警察は補導できないそうな。
んでおまわりさんがなめられて困るから法律作ろう、と。
個人的に法律でがんじがらめの世の中はキライです。
適度に例外だったり隙間が残ってる方が息がつまらなくていいじゃない。
それに法律で言ってることだけ教えこんだら終わり、てなもんでもないだろうしなぁ。
とにもかくにも、法律に書いてあることは日本に住んでる人の共通認識にしとかないかん訳で、大きな顔して押し付けられるということです。
世のお父さんお母さん先生、その他諸々、頑張って押し付けてください(笑)